2025年4月20日・復活の主日(C)
- Bahay San Martin
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使徒信行録10.34a 37-43・詩編118.1+2 16+17 22+23・コロサイ3.1-4・ヨハネ20.1-9
私たちの現在の生活の中で、イエス様のご復活の真実をより深く理解するという事は、この四旬節での多くの実りの中で1番の実りです。その他の罪の赦し(神さまの私たちへの
赦し、私たち自身とわたしたちの隣人たちへの赦し)、回心(悔い改めと、信仰と
神さまとのつながりをより良く、より深めていくという約束)といった実りは、今年の、
そして、これから先のご復活節の間に、まさにイエス様のうちに新しい生き方を共に祝う
ようにと導いてくれます。もう一方で、私たちは、年間(典礼暦での特定の時期)の
教会での生活を積極的に送るように、そして、私たちは復活されたキリストの
子どもたちであるという事を、勇気を持って宣言するようにと招かれています。私たちは、復活されたキリストを中心とした日々のキリスト者としての生活をお捧げし、いつも聖霊の導きを受け入れつつ忍耐を持って、現実の中で積極的に生きていくのです。心を開き、
いわゆる巡礼する教会の使命とヴィジョンを共に行動していきましょう。
ご復活を共にお祝いしながら、同時に、巡礼する教会の一員となるという事はどういう
事なのか、そして、どのように希望の巡礼者(特に2025年の聖年のために生まれた
言葉)について考えていくべきなのかを黙想いたしましょう。
かつて私は、神学校での養成期間に、そして、司祭に叙階した当時に、自分の目的や、
あるいは、目指している最終目的に絶対に到達したいと願っている人は、物事、状況、
環境、そして、その間に出会う他の人々にさえも、影響されてはいけないと教えられ
ました。かつて私は、周囲に邪魔される事のないよう、そして、ただまっすぐに走り、
ゴールまで素早く走る事ができるように、両目にブリンカーを付けた競走馬のようになる
べきだとさえ教えられました。確かに、この励みとなる言葉は、みなさんにとっても、私にとっても、そして、特にこの世界で良い生活を送りたいと願っている多くの若者にとっても、とても効果的なものです。私自身、しばらくの間、そう思っていました。けれども、
競走馬の話は、現在の巡礼する教会の旅に今も当てはまるのかと、私は疑問に思いました。むしろ、私たち皆は、この旅を通して、人間をとる漁師になる事ができるのです。
私たち一人ひとりが、周りの事をよく意識し続け、この旅の中で本当に必要なものに
積極的に応えることができますように。私たちは皆、希望の巡礼者が増え続けていく事を
望んでいます。増え続けている巡礼者たちが、疲れている人々、病気の人々、取り残されている人々に対して思いやりを持つ事ができますように。
聖年の記念として、皆でいっしょに、心を尽くしてすべての被造物に対して奉仕して
いきましょう。
ご復活おめでとうございます。