バルク5.1-9/詩編126.1+2ab,2cd+3,4+6/フィリピ1.4-6,8-11/ルカ3.1-6sa
今、私たちは待降節の2つ目の週を迎えます。毎年、私たちは、罪の赦しのために、
私たちの日々の生活を新たにする(悔い改め、回心―霊的な変化/メタノイア)ようにと、勇気付けられます。これは、同様に洗礼者聖ヨハネが、その時代に宣べ伝えてきた事です。私たちは、洗礼者聖ヨハネが、人々に、各々の悔い改めの象徴としての水による洗礼を
授けたという、歴史的事実を知っています。けれども、洗礼者聖ヨハネは、彼よりも後に
もっと力あるお方が来られ、人々に聖霊と炎による洗礼を授けられるという事を、とても
はっきりと語っています。
私たちは、洗礼者聖ヨハネの時代(イエス様による洗礼を受ける直前と、ガリラヤで
始まったイエス様の宣教活動以前)の、洗礼者聖ヨハネによる悔い改めの宣言と、私たちの毎年のクリスマスの準備とが、どのような関係にあるのか、自問するかもしれません。
今年の待降節第4主日に、マリア様がエリザベトを訪問されることについて、私たちは黙想する事でしょう。マリア様はイエス様を宿され、エリザベトは洗礼者聖ヨハネを宿されて
いるというこの時期に、この訪問がなされたことを、私たちは知っています。エリザベトが洗礼者聖ヨハネをお産みになるほんの数か月後に、マリア様がイエス様をお産みに
なったという事を、私たちは知っておかねばなりません。
「やあ、クリスマスの季節が、また近づいてきたね 。今年は、もっと幸せなクリスマス
だったらいいなあ」などといった事を個人的に言っているキリスト者の発言は、間違った
ものではないかもしれません。なぜならば、多分、待降節は、クリスマスを迎えるための
祈り/思い、そして、希望/願いのうちに、長く待ち望むクリスマスのために準備をする
期間だからです。この待降節に対する私たちの受け容れは、ただの水によるものではなく、聖霊と炎による洗礼をと呼びかけている洗礼者聖ヨハネの使命を、熱意を持って受け容れる事なのです。これは、私たちがすでに受けている洗礼の秘跡の途絶える事のない更新も
含めて、思い起こす事です。わたし達は、キリストのうちに洗礼を受けたことで,
イエス様のご降誕とこの歴史的なご降誕にまつわる出来事から、日々の生活の中での断ち
切る事の出来ないつながりと、根底となるものを見出します。私たちは、いわばイエス様のご降誕から、イエス様と共にいなくてはならないのです。心の変化/回心―霊的変化
(メタノイア)には、本当の意味でのクリスマスとするための活力あふれる力をもたらす思いが必要なのです。