2025年3月23日・四旬節第3主日(C)
- Bahay San Martin
- Mar 25
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出エジプト3.1-8a,13-15・詩編103.3+4,6+7,8+13・1コリント10.1-6,10-12・ルカ13.1-9
四旬節の悔い改めを遵守するという事は、私たち一人ひとりの今までの、そして、現在の
罪をこころから認める事であり、同様に、私たち一人ひとりが意欲的に心を改める事、回心する事です。今回、私たちは、イエス様のいつくしみとあわれみについて黙想するようにと招かれています。実際に、そうする事で、私たちの悔い改めの行いの実りをも得ることが
できるでしょう。
今、私たちは、四旬節の黙想のための3つ目の主日と週を迎えます。四旬節第3主日からの慰めは私たちがずっと神さまからいつくしみと限らないを愛いただき続けていることです。私たちは、自分自身や隣人たちに対して、もっと思いやりとあわれみに溢れた生き方が
できるようになる事でしょう。私たちのことばや、私たちの決断や毎日の行いを通して、
私たちは、思いやりとあわれみに溢れる事ができるのですから。
今日の福音朗読の中にある実のならないいちじくの木のたとえ話では、神さまの寛容さと、悔い改めへの継続的な呼びかけ(日々の呼びかけ)について語られています。神さまは、
私たちが信仰のうちに変わり、そして、成長するための時間をお与えくださいます。まさに木を育てるために多くの時間/十分な時間をかける庭師のように、私たちも自分自身や隣人たちのために、喜んで時間を与え、言ってみれば、私たちが良い実りをもたらすまで、自分自身や隣人たちのために、もう少しだけ寛容さとゆるしの心をもつ事ができますように。
この聖年の間の私たちの更なる黙想の一部として、巡礼者である事の意味が
何であるのかを、もっとよく理解することができますように。ともに旅をして、私たちの
旅の最終目的に辿り着くまで、お互いに助け合い、支え合いましょう。
復活徹夜祭に洗礼の秘跡を受ける兄弟姉妹たちのために祈り続けましょう。