申命記26.4-10・詩編91.2+4ab,11+12b+10,14+15・ローマ10.8-13・ルカ4.1-13
四旬節に入り、私たちは、キリストのうちにある豊かさへの理解を深めるために祈ります。私たちは、この四旬節の間に、イエス様の苦難、死、そして、復活についての理解を新たにするために時間を費やす事でしょう。おそらく今日の朗読は、一度もしくは、いろいろな
形で誘惑され、試され、差別され、虐げられた事のある人びとにとって、大きな閃きを
与えてくれるものとなるでしょうが、神さまの恵みのうちにある人びとは、それらの
すべてのものと戦う事ができました。実際、彼らは、ひとがパンのみによって生きるのではなく、神さまからの全てのみことばによって生きるという事を理解していたに違い
ありません。彼らは、いのちの破滅から救われた事で、感謝の心を持ち、この感謝の心を、隣人たちに手を差し伸べる/隣人たちを助けるための礎や出発点としました。彼らに
とって、隣人たちに手を差し伸べる事は、時として肉体的には厄介な事ですが、霊的には
そうではないのです。
勿論、若い頃から今に至るまで、もしかしたら、現在も、この世界の現実の数々が
もたらす、例えば経済的な不安定さや、さまざまな精神的疾患、めったに表には出ることのできないキリスト教的な価値やその他の環境によって、生きる事への試練の中にいる
人々が、いまだにたくさんいます。私たちは彼らのために、誘惑に対しての勇気と忍耐、そして、最終的には忍耐を持って、イエス様が荒れ野で誘惑をお受けになった時にイエス様が持っておられたのと同じ機知と知恵とを、彼らが見出す事ができるようにと祈ります。
私たちは皆、イエス様の地上での終わる事のない使命、すなわち人々を癒し、自分たちの
ために、そして、すべての人々のために、平和と本当の自由をもたらすという使命に加わるようにと求められています。一方で、私たちの主であるイエス様のご受難と死を記念し、
私たち自身、浅い信仰生活から、山をも動かすほどの信仰生活へと変えるための準備を
整えます。今この季節は、神さまの偉大なる栄光のために、何を手放し、何を保つべきなのかを、真摯に整理していく季節です。そして、本当の回心をするためには、確かな犠牲が
必要なのです。