2025年4月27日・復活節第2主日(C) 神のいつくしみの主日
- Bahay San Martin
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使徒言行録5.12-16・詩編118.1+2,16+17,22+23・黙示録1.9-11a,12-13,17-19・ヨハネ20.19-31
復活節第2主日は、神のいつくしみの主日です。私たちは共に、神さまの永遠の
いつくしみと赦しをお祝いします。私たちは、イエス様を信頼し、ご復活を信じ、常に
イエス様の赦しを求め、隣人たちとキリストの平和を分かち合うようにと勇気付けられて
いるのです。
今日の朗読は、どのようにして使徒たちが、イエス様のご復活によってもたらされた
キリストの平和を受けとめたのかを、私たちに教えてくれてます。イエス様は、ご自身の
復活の真実に対して、何人かの使徒たちが抱いている疑心を取り除かれました。紛れも
なく、同じキリストの平和は、癒しの働き/使命を受け入れ、そして、罪の赦しの権能
さえも勇気を持って受け入れるようにと、使徒たちを導きました。いわゆるイエス様の
癒しの使命に使徒たちが加わるという事は、復活されたキリストから彼らが受けた
キリストの平和を伝える手段となりました。更に使徒たちは、イエス様からの聖霊を受け、罪を赦す、あるいは留めるにふさわしい者となったのです。
もしかしたら私たちは、先週の復活の月曜日の教皇フランシスコの帰天と、今日の黙想を
結び付けるかもしれません。教皇フランシスコが在職中にしっかりと示された忍耐、犠牲、そして、すべての人々を差別なく受け入れる心を通して、イエス様ご自身がお創りになった教会に対して、いかにイエス様が、文字通り忠実で、愛情深く、いつくしみ深いのかという事への知恵を、おそらく私たちは見出すことができるでしょう。痛み、悲しみ、避ける事のできない肉体の死、そして、その他多くの損失から成るもののある所では、キリストの
復活(イースター)の真実は、多くの場合、私たちがたびたび希望を失ったと思い込んで
しまう状況においてでさえも、私たちに希望を与え続けます。前教皇フランシスコは、帰天される前に深刻な病気であったにも関わらず、全キリスト教徒、そして、全世界に向けて、なんとか私たちへのご復活のあいさつをされました。私たちは、この事を私たちにとってのとても特別な聖霊の恵みと導きであるとみなしています。
私たちは、いつも神さまのいつくしみに対して、私たちの信頼と信仰を持っているのです。