ヨシュア 5.9a,10-12・詩編34.2+3,4+5,7+8・2コリント 5.17-21・ルカ 15.1-3,11-32
今年の四旬節は、神さまのいつくしみと愛に対して焦点を当て続けています。けれども、
今日の朗読では、神さまがこの永遠のいつくしみと愛で、私たちを包み込んでくださって
いる事について、更に詳しく書かれています。私たちの基本的カテキズムは、私たちが罪を犯す時の、私たちが愛している神さまからの疎外 (離別/疎遠) について教えてくれて
います。私たちは、心の中での日々の回心を通して、その疎外から立ち直るようにと努め
ます。ですから、私たちは、悔い改めの招きを待ち望み、神さまとの和解を約束するという事について、よく理解するようにと呼び掛けられているのです。私たちは、キリストとの
和解のメッセージをはっきりと見極めることができます。キリストのうちに、私たちは、
新しく創造された者となるのです。神さまは、キリストのうちに、私たちと神さまご自身とを和解させてくださいました。このことを、私たちがより良くなり、信仰を育むようになるための日々の努力の礎としていきましょう。
特に今日の福音朗読では、貪欲や不正、攻撃的な執拗さや暴力、怒り、憎しみ、無関心、 恨みといったネガティブな力によって支配されている、私たちの生き方について、十分に
意識するようにと私たちに呼びかけています。最終的に、これらすべての力は、私たちを
疲労困憊させ、ほんとうの平和をもたらすものではありません。それ故に私たちは、平静と静寂のうちにあり、神さまが、私たちと隣人たちにして下さった事やお赦し下さった事の
全てに対して感謝するようにと招かれているのです。
私たちは今、四旬節第4主日と週日の黙想と振り返りの時にあります。四旬節第4主日は
喜びの主日 {レターレの主日} とも呼ばれています。待降節の喜びの主日{ガウデーテ}と似ており、同等であるといえます。つまり、私たちは、「今日」の日を四旬節の中での喜びと
希望の時としているのです。けれども、四旬節第4主日の喜びと希望は、神さまからの
絶える事のない慈悲と
いつくしみから来ているものです。私たちは、神さまからの絶える事のないいつくしみと
愛の故に喜び、私たちの日々の悔い改めへの意向/意欲から生まれる「幾千もの希望」 を
持って、自分自身や隣人たちに対して、もっと慈悲深く、もっといつくしみ深く生きる事ができるでしょう。
復活徹夜に洗礼の秘跡を授けられる事を心待ちにしている人々のために、私たちの
共同体として、今日もお祈りしましょう。そして、洗礼志願者の方々が、キリストのうちに私たちと神さまご自身とを和解させてくださる事を、ほんとうに心で感じる事が
できますように。