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3月03日・四旬節第3主日(B)

出エジプト20.1-17・詩編19.8、9、10・1コリント1.22-25・ヨハネ2.13-25

 


私たちが、大抵の場合、台無しにしてしまうことを、

おお、主よ、あなたはいつも元通りにしてくださいます。

 

今日、私たちは、特に洗礼の秘跡を受けるための準備をしている洗礼志願者の方々のために祈ります。また、1年間、もしくはそれ以上の時間をかけて、洗礼志願者の方々と共に この準備をされている代父母と入門講座の先生方のためにも祈ります。

 

四旬節第3主日は、回心への招きについて、私たち一人ひとりがもっと深く掘り下げて 黙想するための更なるポイントを与えてくれます。私たちは、ゆるしの秘跡を受ける時、 私たちの過ち(良くない事だとわかっているのに、し続けている事)を絶え間なく認めつつ、同じ過ちを繰り返すことのないようにと、神さまのお恵みを求めます。

 

今回(四旬節第3主日)は、神さまの戒めを言葉と行動の両方で忠実に生きること,

そして、すべての人々に教会の神聖さを示す(もたらす)ために、私たちが貢献できる ことを思い出させてくれます。

 

まず初めに、教会という建物が神さまの家であり、祈りの家であるという事の理解から、 教会は私たちの共同体であり、神の民であり、キリストの体であるという理解に至るまで、私たちにとって教会は何であるのかという事の理解を新たにすることから始めます。 すなわち、私たちは、教会の神聖さ(祝福)を証しするようにと招かれているのです。

 

次に、私たちは、神さまの家、祈りの家に入る人々がいつも信心深い人ではない(実際に、ほとんどの人が罪を犯しています。)という事に気付きます。そして、私たちは、「自分は何をしてしまったのか」「私たちは何をしてしまったのか」といった問いかけを口に します。私たちは、このようにして、教会の神聖さが、どこで、どのようにして、 損なわれてしまっているのかを知るのです。

 

そして、私たち一人ひとり、また、私たちの共同体全体の役割は、すべての汚れの素と なっているものを、正しく見出すことができるようになることです。そうなることで、 初めて私たちは、教会の真の神聖さを見つけることができるのです。

 

私たちは、この世にある教会です。教会は、その歴史と同様に、私たちの今現在の経験 から、その神聖さを損なわれてきています。この地上での教会の真の神聖さを、私たちが 経験できるよう、絶えず祈りましょう。隣人や神さまの御心に、私たちの心を開き ましょう。真の神聖さの経験は、神さまのお恵みと、私たちが受けているすべてのお恵みを無駄にしないことによってもたらされます。

 

ご復活のお祝いのための私たちの準備として、私たちの目には、キリストは十字架上で 殺されましたが、しかし、神さまの叡知は、私たちの知恵や理解を遥かに超えて偉大であるという事に目を向けましょう。キリストの十字架は、私たちの信仰の重要な象徴と なります。この信仰の十字架を胸に、そして、深い喜びのうちに、私たちの主イエス様の ご受難と死に、しっかりと根づいたご復活のお祝いを待ち望むことができるように 致しましょう。

 

おお、主よ。私たちが破壊してしまったあなたの全てのものを、いつも元通りにして くださり、感謝します。

 

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