イザヤ 22. 19-23・詩編 138. 1+2ab, 4+5+7d, 8・ローマ 11. 33-36・マタイ 16: 13-20
私たちは皆、神さまの権威と保護のうちにいます。
あなたと私は、日曜日と時には週日でさえも教会に来て、イエス様を救い主であり、私たちの日々の生活の主であることを宣言します(心から認めます)。神さまのいつくしみ深いお恵みあふれる教会で、あなたと私がイエス様のことをもっと知り、そして、キリストのうちにキリストと共に、より多くの人生を経験できるように導いて下さる秘跡にあずかります。確かに、イエス様をより深く知り、そして、信徒としての生活をもっと深める経験をするために、共同体で祈り、共同体としてミサにあずかることは役に立ちます。
私たちは、イエス様に対して個々の理解をしていて、多くの異なるやり方で教会にきますが、私たちは各々、独自の環境や周囲の状況の中で生まれ育ったので、イエス様に対してのレスポンスは、それぞれの生活の中で異なっているように見えるかもしれません。なによりまず、私たちが、心の底からイエス様を私たちの主であり救い主だと認めている友人(自分たちの小教区共同体の中だけではなく)を持つ事のメリットを、どのように喜びとしてきたかについて黙想するよう、私たちは、今日の典礼によって導かれています。生活の現実にもかかわらず、または「生活の現実によって」と言った方が良いかもしれませんが、私たちは、どのようにしてイエス様がキリストであり救い主であると心から認めたのかを、他の人たちに話すことでつながりを持つ事もできます。私たちの共同体や小さな友達の集まりの中で、他の人たちも私たちとつながることを喜びとするよう導くのです。彼らの日常生活の中で、イエス様の権威を心の底から認めることができる人は幸いです!
イエス様がキリスト(救い主/メシア)であるというペトロの認識は、大切な信仰活動について伝えています。そして、この信仰活動は、私たち皆にとって、カトリックの信徒であるという私たちのアイデンティティが真であるということを伝えるために必要なことです。私たちが教会での秘跡にあずかる時、イエス様の神聖な本質と、私たちの中でのイエス様の権威をも私たちは認めます。
今日の朗読は、神さまの叡知の深さは計り知れない事を語っていますが、私たちは皆、神さまの権威と保護のうちにいることを理解できます。教会のすべての活動と聖体祭儀のうちにおられるキリストの存在とその他の秘跡、私たちの信仰共同体のすべてにおいての、そして、私たちそれぞれの心の中での聖霊の内在は、私たちの弱さにも関わらず、私たちを祝福し、すべての聖なるものを生み出し続けます。そして、神様を知ることで巡礼教会をもっと成長させてくださるのです。