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10月1日・年間第26主日(A)

エゼキエル18.25-28・詩編25.4+5a、8+9、10+14・フィリピ2.1-11・マタイ21.28-32

すべてのいのちを守るための月間(9月1日―10月4日)


守られない約束より実際の行動神さまの優しさへの私たちの応え


  今日の黙想に関して、悔い改めた罪びとは、天の王国の真価について心配することは何もないということを、私たちが理解するために、先週のミサの朗読での教えを、神さまの正義のうちに深く考える事は役に立ちます。神さまがすべての人々に対して等しく愛をお与えくださる事は、神さまの優しさと真の正義を私たちにお示しになる神さまのなさり方です。


  神さまの正義について、さらなる教えがあります。神さまの正義は、罪びとを罰し、正しい人を寵愛されるといった単純なものから起因しているのでは決してありません。神さまは、罪びとに対しても、愛といつくしみを絶え間なくたくさんお与えになるからです。つまり、罰とは、神さまから与えられるものではなく、罪を犯した人の罪深さ(人は罪を犯したことに対して、自分自身を罰します。)から来ているのです。ですから、利己主義、妬み、暴力、怒り、憎しみ、さらに貪欲は、その結果として、例えば、孤独に陥り、他人や自分を傷つけ、そして、ついには肉体的にも精神的にも崩壊してしまうということを、私たちは理解しています。私たちのクリスチャンとしての生き方において、これら全ての結果は、神さまのみことばの拒絶、神さまの王国の予兆の拒否(神さまの真の正義と愛の拒否)、そして、明らかに私たちの天の御父からの避けられない疎外感へとつながり、私たち一人ひとりの霊的成長に対する危険性を意味するかもしれません。


  私たちの召命:私たちは、最初に日々の良心の糾明に務め、そして、私たち一人ひとりと共同体の罪を心から認めることによって、神さまの優しさに応えます。私たち一人ひとりと共同体の悪い行いを自覚して認めるということは、聖なるゆるしの秘跡と愛の実践(悔い改めと回心)へと、私たちを導きます。聖霊が私たちを導き、回心と愛の実践のための勇気をもっと与えて下さるのです。


  イエス様が地上においでの間、宗教的指導者たちに最も特別にお与えになった挑戦は、現在の私たちの教会や修道会の指導者たち、そして、すべての私たちにとって、時代遅れな挑戦ではありません。確かに、今日の福音朗読に出てくる二人の兄弟のたとえ話では、さらなる良心の糾明へと私たちを招いています。私たちの時代では、言葉の上での合意と実際の忠順とは、一見、同等の重要なこととして考えることができますが、しかし、守られない約束よりも実際の行動の重要さは、真の悔い改めと真の回心の必要性を最もよく表していす。


  私たちは、異なる文化と異なる社会の立場にあるかもしれません。けれども、私たちは個人的にも共同体としても「イエス様のうちに、イエス様と同じ態度」であるようにと召されています。私たちはイエス様からとても離れている時、クリスチャンにはなれません。これは、使徒パウロのフィリピの信徒への招きの言葉と同じで、現在の信徒の共同体の私たちも、利己心、私利私欲、個人的な都合や偏見からではなく、この言葉からの「務めへの招き」(神さまのぶどう園での働き)に対する応え(イエスまたはノー)に従うようにと勧められているのです。

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