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2024年10月13日年間第28主日(B)

知恵7.7-11/詩編90.1+2+14,11+12,16+17/ヘブライ4.12-13/マルコ10.17-30

 

イエス様のたくさんの教えに対して、私たちがこころを開くための十分な勇気を持って

いるという事を、私たちの内に見出せるという事は、すでに私たちにとって強みです。

たとえ、それが想像できないとまではいかなくても、イエス様の教えに従うという事が

本当に難しく思えるかもしれなくても。実際に、私たちは、少なくとも学校で基本的な

教育を受け、高度な教育(大学院などの教育)さえも受け、一部の人々は、子どもたちが

ビジネス志向の人になるよりも早い時期から教育する事を選びます。将来(近い将来)、

私たち/彼らがより良い生活を送り、早い引退や、あるいは、病気の時の支えのために、

私たちの計画が、より多くの貯えを得られる事になるかもしれません。他の何人かの

人々は、贅沢な生活を送る事や、その他の多くの事ができる以上の事を目指すかも

しれません。私たちは、生活のために稼ぐ事や、自分たちの安全や安心をもっと手に入れる事に、最善を尽くそうとします。これらの事や、その他のすべての事は、そもそも、

私たちが隣人たちを傷つけたり危害を与えるような事をせず、だましたり盗んだり

しなければ、なにも悪い事ではありません。この観点で、最善を尽くす人々は、社会の中で良い人々です。さらに、私たちが、余分に持っているものや、使っていたもの(私たちが、もう捨てようと思っているもの)、もう必要ないと思っているもの、そして、自分たちに

都合の良い生活に必要ではないものを差し出す事で、隣人たちを助け始める時、私たちは、より良い人々(ただの良い人々以上に)であることに気づくのです。

 

今、キリスト者の生活において、私たちが、どれくらい本当に良い人々であるか、深く掘り下げ、確かめてみましょう。イエス様がおっしゃっている天国へ行くために、私たちは、

もっと何をすべきなのでしょうか。

 

神様が命じておられることに従っていると思っている人々にとって、そして、必要以上に

持っているものを差し出す事で人々を助けようと考えている人々にとって、もっとできる

事とは何でしょうか⁉ ここに、今日の福音朗読の金持ちの若者が永遠のいのち受け継ぐには、さらに何をすべきなのかという同じ課題があります。この点で、私たちは、神さまが、私たちにもっと命じておられる事が何であるのか、注意深く聞き、イエス様のご計画を

理解するようにと招かれています。...彼を見つめ、いつくしんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。

そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」

(マルコ19:21)この福音の一節は、私たちが死を迎える時まで、自分たちやそれぞれの

家族たちのための生活の利便性(安全性、安心、健康、幸せとその他多くのもの)を手に

入れる上で、物質的な富や、同様に、多くの素朴さと複雑な理想に対するあり方について、さらによく振り返るようにと、私たち皆を導いてくれます。今日まで(多分)、私たちは、これら上記の価値観は、神さまの恵みであり、私たち皆にとって本当に望ましい

ものであると考えてきました。その後、イエス様は、「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」とことばを続けられ、実際に、このような理解と、そして、金持ちの若者が悲しみの内に立ち去る決断に、弟子たちは、大きな驚き(恐怖による衝撃)を

受けました。

 

私たちは、執着と断念というテーマについて、さらに深く黙想するようにと導かれて

います。実り多き福音ではっきりと断言されているみことばは、私たちが持っている

物質的なものすべてを切り捨てるようにと命じています。この世での私たちの人生に

おいての心配事や不安を超えて、神さまへの信頼について、もっと焦点を当てるようにと

私たちは勧められているのです。

 

私たちは皆、イエス様がお造りになった教会の人間なので、これらの事について語ります。今日、特にイエス様が私たちに言われた事を、注意深く聞き続けていきましょう。

イエス様の知恵は、私たち一人ひとりが、物質的なものの切り捨て、安心、こころの

平和としあわせを可能にするための鍵です。神さまの知恵は、真なる富であり、この世で

望むもの全てを超えた、もっとも奥の深い夢なのです。

 

 

私たちの黙想の更なるポイントは、障害であり、持っている価値がないと知っていて、

そして、気づいている物や状況に関して、それは何であるのかを、自分自身に問うかも

しれない事です。しかし、私たちは外見的なものを大切にし続けて、無条件に/完全に

キリストのうちに人生を送り、キリストの平和のうちに生きるために、捨てたり、

手放したり、避けたりする事ができないでいるのです。

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