ゼファニヤ3.14-18/イザヤ12.2,4,5,6/フィリピ4.4-7/ルカ3.10-18
いよいよ待降節第3主日を迎えました。皆でともに、待降節の期間の今日という喜びの
日曜日を自分のものとすることができるよう、聖霊の導きに従いましょう。世界中の様々な現実の中であっても、キリスト者の喜びのシンボルである3つ目のロウソクに、私たちは
火をともします。世界中で、そして、私たちのこころの中で、イエス様のご降誕の時
以上に、私たちは、この日をもお祝いすべきなのです。多分、今日の朗読では、私たちに
わかりやすいアドバイスを示してくれています。喜びにあふれるキリスト者が、自分たちの生活の中にある困難にもかかわらず、どうすれば、ほほ笑むことができるのかを知ることができるでしょう。家族関係、仕事を失ってしまったこと、健康に関すること、そして、
多分、私たちの生活の中にある喜びを見失ってしまったと思っている境遇や物事に対して
興味を持っていることなどについて、私たちは、話し合う事ができます。けれども、
たとえ、誰かがほほ笑むことができなくても、喜びを得ることができなくても、
クリスマスは絶対に訪れ、人々は必ずお祝いをするでしょう。
私たちは、洗礼者聖ヨハネの分かち合うことについてのメッセージを、今もなお心の中に
持ち続けています。分かち合うという事は、助けを必要としている隣人への愛/寛大さ
であると、洗礼者聖ヨハネは語っています。また、正直で公正であるように、自分が持っているものに満足するようにとも、語っています。確かに、喜びにあふれるキリスト者は、
公正であり、愛のある人々です。
私たちには、クリスマスの準備をするための期間が、あと1週間ばかりあります。
マリア様がエリザベトを訪問された時の出来事について、黙想などをし続けましょう。
私たちは、「悲しみのキリスト者」と言われるようなキリスト者がいるのだろうかと、思うかもしれません。もし、私たちの中でそのようなキリスト者がいるのであれば、彼らは、
早急に、もう一度、キリスト者であることを思い返さなければなりません。