使徒言行録2. 14, 22-33/ 詩編16. 8, 10, 11/ 一ペトロ1. 17-21/ ルカ24. 13-35
現在の私たちの世代は、イエス様の弟子たちがイエス様の死とご復活を証しし、宣言してからすでに多くの年数を経ています。キリストの死とご復活の真の証人となることは、私たち一人ひとりにとっても、今日だけではなく、これからの数日間の私たちの黙想の主な課題を与えてくれるリアルな挑戦かもしれません。個人の祈りの時間に日々の聖書の朗読をしている人々は、これからの数日間、使徒言行録の朗読が継続していることに、すぐに気付くかもしれません。
⑴ 第一朗読:一般的に使徒言行録は、復活された主の宣言について語っています。朗読が継続していることで、イエス様の弟子たちが、イエス様の死とご復活の証人であることも強調しています。第一朗読では、イエス様を死の痛みから解放され、栄光へと導かれた神さまの愛について書かれています。私たちは、最初の証人であるイエス様の弟子たちの話が頼りなのです。イエス様がご受難と死を伝えてくださったように、私たちの日々の生活を送るうえで、私たちからの返答はもっとあるに違いありません。このようにして、私たちは、人間の弱さを克服した経験を他の人と分かち合いながら、希望に満ちた人生を送ることができます。そうすれば、私たちの世代でイエス様の死とご復活の真の証人となるのです。
⑵ 福音朗読:私たちは、私たちの共同体の回想や黙想の時に、今日の聖書の一節にどれくらい出会うでしょうか。エマオへの道について語られている聖書の箇所は、この日までのキリストのうちにある真意に満ちた私たちの人生を与えてくれます。それは、私たちクリスチャンの生活全体、そして、キリストのうちにある私たちの最終的な栄光への道のりのすべてを表現し、捉えています。復活されたキリストは、私たちと私たちの道に光を与えてくださいます。私たちは、イエス様が私たちの光であると認識し続ける必要があります。神さまの永遠の愛といつくしみを通して、私たち巡礼者(巡礼者の教会)は、私たちの旅を続けることができるのです。
・ミサの間に、私たちは神さまのみことばを聞きます。私たちは、真のアイデンティティとイエス様の使命を見つけます。ミサの間に、私たちはパンを裂くのに立ち合い、イエス様をはっきりと認識します。いつも、「畏敬の念」を持ち、イエス様を救い主として宣言し始め、イエス様の宣教に参加し始め、今まで見知らぬ人と思ってきた人々への調和と寛大さの重要さを理解し始めるのです。
⑶ 第二朗読:私たちは皆、御父のこどもとして、御父に栄光と賛美を捧げます。イエス様のご受難と死とご復活は、私たちに神さまの愛と、私たちの罪への神さまのゆるしについて語っています。ですから、このようにして、神さまの愛が示され、明らかにされたのす。
私たちが、いつも人生に希望を持ち、クリスチャンの生活に深く根ざした人生観を創り出すことができますように。私たちが、思いがけない場所、時、状況、そして、人々において、いつも心を開いて、イエス様とお会いすることができますように。