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10月22日・年間第29主日(A)

イザヤ 45:1,4-6、詩編 96:3+4,7+8,9+13、テサロニケ1 1:1-5、マタイ22:15-21


もう二重国籍はない。

神の国の国籍


  私たちは、ここ数週間で、神の国(天国)のイメージのついて黙想してきました。(1)今、現在、そして、(2)神さまがすべてを完成され、完全なものとされる時に、神の国のより良い国民であるためにはどうすれば良いのかについて、私たちは学び続けています。先週の日曜日に、私たちは、天国へ向かって旅する信仰共同体の一員としての各々の役割について、分かち合い、どうにか深く理解することができました。


  それでは、「然るべき時」のための私たち各々の役割について、いくつかの大切な事柄を、もう一度挙げてみましょう。私たちは、教会の「全般的な特徴」すべての人々に対して教会の扉が再び開かれること、すべての人々に対してより多くの人々が使うことができる座席が与えられること)を思い返しました。私たちは、自分たちの教会の内側にある祈りに満ちた環境を守り続けることの大切さを思い起こしました。私たちは、自分たちの教会が、すべての年齢の人々の助けとなる場所となるように、各々の役割を果たしています。つまり、神の民である人々は(1)キリストの喜びと平和をもたらすこと、そして、(2)愛、いつくしみ、思いやり、尊敬と受容、ゆるしと喜びのたくさんの素晴らしい体験することに対して、一生懸命に取り組んでいるのです。


  教会は、声なき人々に声を与える場所になります。教会は、人々が自由でいられる場所(威圧や考えなしに下される判断がない)です。教会は、神さまのみことばと一人ひとりの信仰体験を、無理強いすることなく、心から自由に分かち合うための時と場所を与えてくれます。私たちは、私たちのために準備された時と場所で、各々の文化と生まれを踏まえたカトリックの信仰についてのいろいろな表現方法を、何とかして心の底から受け入れる事ができるでしょう。これらの素晴らしい体験は、私たち一人ひとりに、悔い改めと回心、深い信仰と心から奉仕することをもっと思い出させてくれます。


  実際に、上記のこれらの全ては、私たちが深く関わっているものに対して、一生懸命に取り組むことを意味しています。


  同時に、私たちは、行政のしっかりした国の国民ですし、国民としての権利、そして、現在の一時的な住居と職場への配慮によって、私たちが自ずとこれらの事と関わるようになる事と、そして、実際に各々の国や社会とすでに深く関わっている事が暗示されています。私たちが無意識のうちに繋げている関りには、権利と責任の両方を伴います。私たち一人ひとりに対して、愛国心と素直に従う事を求められているのです。ですから、自分の地域の人々を守り、幸福と全国民の安全と安心と国全体を守るという、法的な立場にある人々が定めた法律や規則に従う/守ることも求められています。共同体での生活の質を良くしていくために、国民一人ひとりが、政府に協力することを求められているのです。政府の指導者たちは、クリーンな良心と全ての責任を果たすために必要なインセンティブを受け取っています。うまく統治されている国から、国民たちがたくさんの恩恵を受けるのと同じように、政府の指導者たちも、自分たちが持っているものや、その国の保全と発展のために法的に認められた税金などの一部をシェアしています。


けれども、私たちの教会生活と教会の全ての活動での深い関りよって、私たちは、もっと注意深く、賢くなるようにと駆り立てられています。真に道徳的で霊的な人になるようにという呼びかけを受け入れましょう。しかし、一般的な敬意や幸福や人間の尊厳をもっと深める上で、もうすでに消滅してしまった法律や活動に対して、素直に従うことや愛国心を求められる時、私たちは、政府の一部の管理体制と対立するかもしれません。まさにイエス様が、世の中の世俗的な事柄や目的によって試された時のように、天国の国民としての権利を得ることに無関心で気乗りしない人々からの試し事や疑問に対して、私たちももっと賢くなりましょう。


私たちがすでに持っている一般的な社会の隣人たちに奉仕する気持ちによってが、もっと深い信仰が私たちにもたらされますように。そして、私たちがすでに持っている信仰によって、もっと誠実な/本物の奉仕する心が私たちにもたらされますように

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