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司祭生活黙想文

Jer14.17b-22/ Matt 13.36-43


私たちは、小教区の多くの人々や職場の皆様から、彼らが日々の生活の中でたくさんの心配事を抱えていて忙しすぎるとたびたび耳にしますが、小教区の管理や宣教活動に力を貸してくれる同じ人々で、私たちの生きた模範となってくれる人々がまだたくさんいます。司祭生活の約15年の間に、多くの方法で、言葉と行いの両方をもって神様の言葉を述べ伝え、身を低くし謙虚な多くの敬虔なカトリック信徒に出会いました。


敬虔なカトリック信徒に巡り合うということは、特に小教区の司祭として、神様の言葉に対して私がどれほど務めて熱心で、または真剣であるかをじっくり考える機会と挑戦です。

何よりもまず、私は彼らとは違って、私が忙しすぎると思うとき、いつ、どうやって教会に行くことができるのかということを考える必要はないということを、いつも感謝しなくてはなりません。とにかく、教会は私の住まいなのですから!

たくさんの賜物を数えて…

私は、毎日、助けとなる場所と聖書を読むのに十分な時間を持っていることの便利さを楽しんでいます。

言うまでもなく、人々のために話すことや説教を準備することは私にとってたくさんのメリットであり、いつもうまくいかなくても、少なくとも良い人間、良い司祭になるための挑戦なのです。確かに、本質的にいつも多くのメリットです。私が一般的な良い事について語り、人々にキリスト教的価値について思い起こさせる時、多くの敬虔な信徒の前で、私が説教壇の上でどれだけ信仰に溢れていたか(時々自分自身を恥じながら)自問自答する最高のひと時なのですから。

私が、寛大さ、忍耐、赦し、そして、その他の多くの事について話し始める時、私はどのくらい利己的ではなかったか、どのくらい人々や出来事に対して忍耐強かったか、そして、どのくらい真に理解し赦してきたか…。

私は、自分自身に言い聞かせることしかできません…。無関心で、忍耐強くない、そして、たぶん傲慢で容赦のないことに関して分かち合うにはあまりにも多くの経験をしてきました。

私が実りある、そして、真に祝福された信仰の分かち合いと共同司牧活動を成し遂げるために大切な事柄について語り始める時、私は、どのくらいじっくりと十分に話すことができるのか、そして、どのくらい他の人々の心と意見を聞くことができるのか…。


私が、私たちのクリスチャン生活という状況の中での道徳的価値について語り始める時、どのくらい私は道徳的価値に従う事ができるのか、特に誰も私を見ることができない時に…。

これらすべて、今日私たちの内にある神様のみ言葉と関係があると、私は信じています。私の個人的で静かなひと時に、いつも日々の説教や人々との出会いの中での言葉を真に生きることができるよう希望し、祈っています。神様の同じ永遠の憐れみと愛が私たちすべてを導き続け、それゆえに、私たちの友や、私たちが心をかけている多くの人々によって、み言葉がよく理解され、よく感じられますように。

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