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神様はともにいてくださる

PENTECOST SUNDAY 2022


私たちは皆、このご復活祭の季節の間、回顧と祈りの中で費やされてきた時間が、私たちの神様の存在についての深い理解へと誘ってくれることを願っています。今こそ、神様の霊(聖霊)が私たちの間に内在している事を思いめぐらし続けるのに最適な時です。聖霊降臨の意味を私たちがどのように理解すべきなのかは、私たちの教区のニュースレターでも信仰の分かち合いの中心となっています。私たちは、聖霊が私たちの心と私たちの共同体の心に宿っていることをお祝いし続けることを忘れてはいけません。

イエス様の昇天は、彼の最初の弟子たちと共に教えられた数年間の後、かつてこの地上を歩まれたキリストが、彼の死後、永遠にこの世を去られたこと、そして、彼の復活さえも避けられない主の昇天への道のりのように見えること、そして、初期の弟子たちにとって、キリストの肉体的存在を他の信じられない瞬間へと導き、信仰の試練と同様に、部分的に私たちにその概念を与えてくれていると理解するかもしれません。


私たちは、神様が彼の豊かな愛と永遠の憐れみを保証してくださる天上の存在ということを知っています。神様にとって、すべての初まりから、信仰共同体とのコミュニケーションが可能でした。旧約の時代にさかのぼると、人の目には見えませんが、神様の現実と存在は確かに認識されない声を通して感じられました。そして、後に、彼の権威を持って語ることによって明らかにされました。彼のメッセージは、預言者を通して、はっきりと聞こえ、教えられました。私たちは旧約時代の信仰共同体の強さと弱さの両方を認識する一方で、また、信仰共同体として、神様と彼の民の間の過去の関係から学び続けるという私たちへの呼びかけをも認識しています。もっと学びたいという神様からの呼びかけは私たちの不完全さ故に学ぶべきことが沢山あり、日々の生活の中で、神様の存在を強く感じ続けるためにも、私たちの心の中から空間を作り続ける必要があります。いわば、聖霊からのインスピレーションは、揺るぎない、バランスのとれた信者としての生活の実現のための唯一の燃料なのです。神様からの霊によって奮い立たされないように思われる人生は浅く、自分自身と他の人々の両方で、破れかぶれになって複雑な生活となってしまいます。簡単に言うと、私たちの内面がいっぱいで、世俗的で利己的、自己中心的な心配事、中毒、こだわりで忙しすぎるように見えるので聖霊の存在を知ることができず、私たち(わたしたち)は、自分自身を罪の奴隷へと近づけ、よく言うように、行き詰ってしまうのです。聖霊の実りと贈り物は、「賜物」です。贈り物やプレゼントとしての賜物は、神の子である私たちすべてによって開かれた心で受けるべきことを意味します。

私たちがより良い信仰共同体となるために、また、他の人々の兄弟姉妹となるために、私たちは聖霊によってどのように導かれるべきなのか、さらに思い起こすということは、支えるのが難しいことのように思われるかもしれません。しかしながら、聖霊の同じ賜物が感謝のうちに求められるなら、必ずやそのように真の巡礼者の教会と他の人々のもっと責任(せきにん)のある兄弟姉妹なるよう導かれるでしょう。イエス様が着実に引き合わせた彼の最初の弟子たちと私たちひとりひとりの共同体を受け入れ、ともに現代の聖霊の神殿となろうではありませんか。

王としてのイエス様の使命は私たちを奉仕へと導く事です。祭司としてのイエス様の使命は、私たちの友人の集まり、各々の家族、地域社会とともに祈るよう導くことを薦めることです。預言者としてのイエス様の使命は、神様のみ言葉を聞いたことがない人々の集まりや、聖霊の賜物と実りを受け取らず、長い間、破れかぶれになっている人々に対して、責任あるガイドや教師となる能力を与えることです。私たちは、イエス様のこれらの三つの使命を同様に分かち合っていることを感謝しています。そして、私たちは彼(かれ)の生きている神殿となるのです。


聖霊は、私たち各々の心と、私たちの共同体に宿っています。聖霊は、あらゆるすべての誘惑に打ち勝つことができるよう私たちを強めてくださいます。私たちが家で聖なる祭壇の前で祈る時、そして、私たちが教会に来て他の人々と共に祈る時、聖霊は私たち皆のためにすべてを聖くしてくださいます。聖水と聖霊によって洗礼を受けた時から、教会ではその他の秘跡を受けます。たとえば、堅信の秘跡によって信仰を強められ、ゆるしの秘跡を受け、パンの形でキリストの御からだを受ける聖体拝領を疎かにするというあるまじき理由なしに御ミサに積極的に参加し、結婚の秘跡結婚生活を聖なるものとしてに入り、または、司祭として自分自身を捧げ叙階の秘跡、そして、修道者の生活です。私たちは、有意義な信仰生活、つまり、有意義な教会生活において、すべての事を可能にしてくれる聖霊の力に、これらすべてのことに対してより頼みます。


私は、私たち一人一人が、敬虔な孤独、静けさと平和な生活のみならず、敬虔な活動、思い、決断、集まりを求め続けることを願っています。

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