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司祭としての私のその時の日常生活

すべてを神に委ねて

by イソ神父


私には、35歳年長のひとりの司祭と共に働く機会がありました。この人は、あとで知ったことですが、私が生まれた年に叙階されたそうです。この人は、司祭としての生活のあらゆる面において、経験は豊かでした。また、話すこと、行動することにおいて飾り気のない人でしたから、生活を共にすることには、何の困難もありませんでした。中国風の屋根をもった大きな御聖堂が私たちの生活の場を分けていました。週に1度か2度、私は昼食をつくりました。メニューを考え、2週間にわたって、同じメニューを繰り返しませんでした。このことは、確かに私にはストレスになりました。しかし、利点もありました。私は3つの小教区を担当する新米司祭として、多くの人の助力を必要としたからです。私たちは昼食時間に2時間をかけたので、先輩司祭から教区生活のうえで順守すべき事柄を沢山学びました。週に1度、実務上の会合がありました。これは教育的であり、慣習に従った話し方を学びましたが、実に堅苦しいものでした。また、私の料理当番とは別に、もうひとつの昼食会があり、20人ほどの信者の方々と食事をしました。とにかく、この先輩司祭は、私の健康を気遣ってくれました。私は夜中に何かを食べる習慣があったのですが、食事の残りものを冷蔵庫に蓄えることを許しませんでした。残り物は全部、自分専用の台所へ持っていってしまうのです。私は、いつも空っぽの冷蔵庫を眺めていました。

私は、霊的指導者として、三つの小教区で宣教司牧にあたりました。数年後には三つから五つの小教区を担当し、そこから美しい物語を経験しました。秘跡を執り行うことが宣教司牧の仕事の中心になりました。また、さまざまな人生を歩む人たちに寄り添うこともありました。単に聖書を読むこと、聖書について語ることは、心が離れていても、易しいことです。大切なことは、教区信者の方々と人生を分かち合うこと、聖書の心を生きることであり、これらは単に聖書を読むこととは別のことです。

説教をすることは、司祭に最大の謙虚さを求める事柄です。説教のために割り当てられた時間は貴重ですが、短いものですから、厳格な意味では説教とは言えないものでした。しかし、信徒の皆さんの間で行われている信仰の分かち合いと同じく、説教は個人的な、日常の信仰体験の分かち合いそのものです。説教は、決して訓育的なものではありません。それは信徒の皆さんが平日に行う信仰の分かち合いについて、私が聞いたり、学んだりしたこと、そしてそれらを私が想い出した事柄です。皆さんがよく聞く二つか五つの言葉があるに違いありません。日本語で言えば、「まかせる」「神にまかせて下さい」、そして「安心しなさい」等です。「すべてを神にまかせなさい」、「神の中に安らぎを求めなさい、心配しないこと」等もそうです。私は、実は、違った方向へ進んでいると思うので、今、挑戦を受けている、と思っています。「神にまかせること」は、私が皆さんに伝えたことですが、今や私の番として、その深い意味を正面から受け止め、心から理解しなくてはなりません。

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